木曜日20時、不定期更新。 小説、映画について書きます。 推理小説中心です。

完璧すぎる悪人

 

バーニング 劇場版(字幕版)

バーニング 劇場版(字幕版)

 

 村上春樹の短編小説「納屋を焼く」が原作の映画だ。現在の韓国を舞台に、寡黙で貧しい主人公・ジョンス、薄笑いを浮かべる金持ち・ベン、美しく不思議な感性を持つヒロイン・ヘミ、3人の姿を描く。

 

映画を見終わった後、あらためて原作を読んでみた。原作小説は、映画ほどはっきりとした結末や設定ではない。小説では主人公とヒロインの年齢は離れていて幼なじみではないし、片思いもしていない。もう少しドライで、曖昧な女友達くらいの距離感だ。

 

映画と小説はメディアが異なるので、全く別物だと考えている。物語の変更が加わるのは当然だ。それを踏まえた上で、以下の2点の変更が気になった。

 

(1)ベンがジョンスとヘミの関係を「嫉妬しました」というところ

(2)ベンのマンションを出てからラストシーンまでのシーケンス

 

(1)に関して

ベン(=薄笑いを浮かべる金持ち)は、「涙を流したことがないから、自分が悲しいと感じているのか分からない」と劇中で口にする。感情が希薄で、いつも薄笑いを浮かべているような人間だ。ヘミ(=ヒロイン)が大麻を吸って踊り、眠ってしまう姿をみても、心配そうな表情一つ浮かべず、へらへらしている。ヘミが熱心に話している時も退屈そうで、こっそりあくびをしたりする。家も車も金も女も持っているが、仕事はしていない。遊んでいる。すべてが満たされている。そんなベンは、自分で何かを決めたりしない、ただ自然に従っているだけだ、とすかしたことをいう。また、料理は好きだという。自分の思い通りに作って、味わうことができるからだ。

  

ここまでは小説のイメージ通り。違っていると感じたのは、その男が「珍しく心動かされた」と口にするところだ。ヘミとジョンス(=主人公)の関係を羨ましいと思った、とベンは軽い調子で告白する。

 

これは、意外だった。ベンは「ビニールハウスを燃やす」時だけ興奮する、異常者だと思っていた。だが少しは人間的な感情もあったらしい。どうやらベンには手に入らないものに対する嫉妬を感じる心があるようだ。

 

それはジョンスが劇中で指摘する「ギャッツビー」とリンクするところがある。ジェイ・ギャッツビーも自分では手に入らないものに向かって、懸命に手を伸ばし続けた男であった。違っているのは、ギャッツビーは夢に殉じるが、ベンは欲望に忠実、というところだろうか。

 

(2)に関して

映画と小説では、ベンの話を聞いた後の主人公の行動が異なる。ストーリーを重視するのであれば、映画版の方が分かりやすい。ジョンスは父が「怒りを抑えられない人」と考えていること、「フォークナー」の小説が好きという設定(=自分にも同じ血が流れているという悩み)、ジョンスが父と子の関係に悩んでいること、などが有機的に結びつき、結末へと美しく収束してゆく。

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

 

 

物語の終盤、ジョンスがヘミの部屋で文章を書くシーンがある。あそこで一体何を書いていたのだろう。最初に見たときは、小説を書いているのではないか、と思った。現実を受け入れて、初めて小説を書けるようになった、というようなシーンだ。だが、結末を知った上で見ると、別の可能性が見えてくる。真実の告白、あるいは遺書などである。物語の先をあえて描かないことで、視聴者の想像の余地を残している。