『リプリー』、英語タイトルの方が的確。天才リプリーの姿を描く犯罪小説
1955年、パトリシア・ハイスミス著。殺人を犯した主人公、トム・リプリーが、警察機関の捜査から見事に逃げ切っていく姿を描く、犯罪小説。
おもしろかったポイントは3つ。
(1)原題の方が的確に内容を表している
原題は『The Talented Mr. Ripley』。犯罪の天才・リプリーの姿を楽しむ物語だということが明示されている。邦題の『リプリー』だと、リプリーの天才ぶりを楽しむ小説であるという味の部分が抜け落ちてしまっているし、『太陽がいっぱい』だともはやイメージ。(おそらく、当時の流行りだったのだろう)そういう意味で原題の方が、小説をきちんと表していると言える。
(2)同性愛の要素が含まれている
リプリーは同性愛者のように見える。はっきりとは明示されていない。けれど、そうとしか読めないところがいくつかある。例えば、ディッキー・グリーンリーフの服を勝手に着てはしゃぎ回ったり、ナルキッソスのモチーフだったり、自分はディッキーに似ている、自分ならディッキーになり切れると思いこむあたりである。
その要素を方程式のように読者の方で埋めてあげると、リプリーがなぜそう考え、行動するのか、ストンと腑に落ちる。
はっきり描かれていないのは、時代背景が大きく影響しているのだろう。同筆者の作品『キャロル』では、その苦悩が描かれていた。そちらを読むと、より理解が深まる。
『リプリー』『キャロル』ともに映画化している。
(3)サスペンス小説としての完成度の高さ
行き当たりばったりで危なっかしいところはあるのだけれど、緻密なアリバイ工作をするリプリーは、まさに犯罪の天才と呼ぶにふさわしい。けれども、警察や知り合いのマージ、依頼主であるディッキーの父の目をごまかせるのか……それは最後まで分からない。読者もリプリーと共にハラハラすることができる。
最後に
さて、この小説は犯罪小説だ。犯罪者である主人公は、一体どんな結末を迎えるのか。捕まるのか、逃げ切るのか、あるいは……? そして、そこでリプリーは何を感じたか。
それは、小説の最後の最後、彼がなんと叫んだか。その言葉の中に、現れている。