政治は搦手を使って暴力を制する
「11の国のアメリカ史」の中で言及されていた作品。1995年のアメリカ映画。13世紀、スコットランド独立のために戦ったウィリアム・ウォレスを描いた映画である。この作品を見ると、「11のの国のアメリカ史」で語られるボーダーランド人の理想像がどのようなものかのイメージを掴むことができる。
その理想像は「名誉」や「自由」を重んじる人物として描かれる。リーダーシップがあり、どんな逆境でもはねのける知性と勇気を持っている。そして裏切りは絶対に許さない。ただし戦場では無敵の彼も、政治的な策略には弱い。そういった特徴も「11の〜」のボーダーランド人に重なる。
イングランドとの戦闘のシーンで、アイルランド人の傭兵部隊が捨て駒にされるシーンがある。そこにはイングランド王のアイルランドに対する差別意識が描かれていた。
「女王ヴィクトリア シーズン2」の中で描かれる「じゃがいも飢饉」(1845-49)の話でも、同様の差別意識が描かれていた。そこでは、プロテスタントとカトリックの価値観の違いと、福祉政策が重要な要素だった。ヴィクトリアはアイルランド人の置かれた状況を憂慮するが、周りの政治家たちは党派の調整や利害関係に重きを置いて、アイルランド人を救おうとはしない。結果、何百万人もの人が餓死したり、国を追われアメリカに渡ったりしている。
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「ブレイブハート」の話の構造は、「セデック・バレ」に近い印象を持った。
名誉を重んじる彼らは、敵の村の男の首を狩ることで、英雄の証しを立てる文化を持っていた。しかし、日本軍によって侵略され、村の文化は根こそぎ破壊されてしまう。自由を奪われた彼らは、為政者に対して武力を持って抵抗しようと、最後の戦いに向かう。そこには人はいかに生きるかという問いが含まれている。「ブレイブハート」は勝利の物語であるが、「セデック・バレ」は滅びの物語だ。これまでの人類の歴史では、後者の方が圧倒的に多い。しかし弱者が強者をはねのける方がドラマチックである。