木曜日20時、不定期更新。 小説、映画について書きます。 推理小説中心です。

自分を解放する

 

 

  今回はエルサが自分のルーツと過去に起きた謎を求めて、物語をぐいぐい引っ張っていく。 観終わって考えたのは、エルサとアナの関係、クリストフの描き方だ。

 

(1)エルサとアナの関係

ひとり冒険に出かけようとするエルサを、心配するアナ。エルサは口には出さないけれど、ちょっと迷惑そうなニュアンスが表情に現れていた。

 

魔法の力を持つエルサと、持たないアナ。エルサは内心、アナにはその力を理解できないと感じているのかもしれない。アナだけではない。実のところ誰も力を持つエルサの気持ちを理解することはできない。エルサのように自由に魔法を使いこなせる人間は、他に誰もいないのだから。

 

エルサは魔法が使えるだけではなく、今回は「声」が聞こえる。「声」は魔法以上に厄介だ。何しろ誰かに見せることができない。エルサの認知の問題だ。本当に存在するかどうかも疑わしい。やはりその気持ちは誰とも共有できない。「声」はますますエルサを孤独にする。

 

その抑圧された気持ちが、海を超えるシーンで解放される。自分の持つ力を解き放ち、荒れ狂う海を渡っていくのである。そのシーンは観ていてとても気持ちがいい。

 

その一方で、その解放はアナとエルサの分断を生んでしまう。エルサは海を渡れるけれど、アナは渡れない。力のないアナは決してアナの元へいくことはできないのだ。

 

別れてしまった二人の道。どうすればその道が再び交わるのだろうか。その問題解決の鍵はアナの「気持ち」だ。アナはエルサのことを信じる。そして目の前の問題を解決しようと奔走する。その思いの強さのおかげで、二つの道は再び交わり、エルサとアナはその冒険の先で再び出会うことになる。

 

一歩下がって俯瞰すると、アナやエルサの視座から、その二つの道がつながっているようには見えない。けれど、エルサを信じることなしには、その道がつながることは決してなかった。強引とも思える「気持ち」による物語の結び合わせこそ、「アナと雪の女王」らしさだよな、と感じる。

 

(2)80年代っぽいクリストフ

「恋の迷子」を観ると、今の王子様って、こういうポジションなのかーと考えさせられる。ぎりぎりまで攻めた表現だ。そして、アナがそんなクリストフを受け入れている、というところがなんとも良い。