木曜日20時、不定期更新。 小説、映画について書きます。 推理小説中心です。

「意識は脳の中で生まれる」という仮説

 

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

 

 

 意識について書かれた本を読むと、そもそも「意識を研究することはできるのか?」という根本的な疑問がふわふわと頭に浮かぶ。なぜなら意識は私の主観に属していて、客観的にとらえることができないからだ。

 

「私」は自分に意識があることが分かる。

 

では目の前にいる人間に意識はあるのか。声をかけると、答える。だから意識があると思う。ではロボットはどうか? 声をかけると答える。でも意識があるようにはとても思えない。猫は? 声をかけてもそっぽをむく。でも意識があるような気もする。昆虫、微生物は? その境界線は曖昧で主観的だ。

 

本書の最大の主張は第5章に書かれている統合情報理論と、その要となる命題だろう。

意識を生み出す基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる、統合された存在である。つまり、ある身体システムが情報を統合できるなら、そのシステムには意識がある。(意識はいつ生まれるか・第5章)

なぜそのような命題を生み出すに至ったかを第1章から第4章にかけて説明し、第5章で統合情報理論という謎を解く鍵を提示、第6章から第9章でその謎に迫っていく。

結論から言えば、意識を生み出すシステムははっきりとは分からない。だが、視床-皮質に起きる特的の神経細胞のふるまいと意識の発生には関係がありそうだ、というところまで迫る。

 

読後の感想としては、多くの人が多分そうだろうな、ともやもやと思っていることを論理立てて説明してくれる気持ち良さがある。その積み上げは、見事なチェスの詰め手のようだ。

 

少し話は変わるが、人工知能の本にはよく、「人工知能は人間と同じような意識を持つか?」という問いが出てくる。

この本を読む限り、人工知能の意識のある、なしに関わらず、それを判定する方法すらない、というのが現状のようだ。

 

ではもしも今現在、私たちの目の前に意識を持った人工知能が現れたらどうだろう。

 

意識があるかどうかの判断は、私がどう感じるかという、信用の問題になるようだ。「このロボットに意識がありそうだ」と心の底から思えるかどうか。

そのハードルは高い。