テレビドラマ(推理もの)のフォーマットを考える
1月から3月は何本かテレビドラマを観た。「テセウスの船」と「アリバイ崩し承ります」にはかっちりとしたフォーマットがあることに気づいた。水戸黄門において「印籠を出して事件解決」というような毎回決まりの流れがある。
共に、原作がある。
●1 「テセウスの船」のフォーマット
(1)問題提起
(2)捜査開始
(3)人情話
(4)解決+どんでん返し
「テセウスの船」の場合は、大まかにいうと、このような話の構造になっていた。
例えばこんな感じだ。
(1)「●●を探せ」「見つけられなければ、たくさんの人が犠牲になる」などのはっきりした条件が提示される。
(2)主人公は仲間と協力して捜索に乗り出す。けれども、見つからない。事情を知らない人が止めに入ったり、事件の関係者が邪魔したりする。
(3)もうダメかもしれない……父に相談しにいくと慰められる。主人公と父の関係など、親子や家族関係の泣かせのシーンが描かれる。
(4)主人公の頑張りでようやく●●を見つけることができた。けれども、●●は犯人ではなかった。まさか、他に真犯人がいるのか……!?
毎話(1)の提示と(4)の引きがあるので、何話か見逃しても楽しめる。途中から見ても話が分かる。それはテレビドラマでは必要な要素かもしれない。
●2 「アリバイ崩し承ります」のフォーマット
(1)事件発生(容疑者は■■。しかし鉄壁のアリバイがある)
(2)依頼(管理官の察時が、時乃にアリバイ崩しを依頼する。この時点で察時と時乃は犯人は■■であると確信していることも多い)
(3)捜査開始(手がかりを集めていく。時乃の指摘が物語解決の鍵になる)
(4)閃き(時計のイメージ、時乃、「時を戻すことができました。アリバイは崩れました」というような決め台詞をいう)
(5)謎解き(管理官の察時が犯人を追い詰めて事件解決!)
お決まりの展開になっているので、大変観やすい。
ひとつだけ分かりにくいところを指摘すると、(4)から(5)のシーンの繋がりだ。時系列がごちゃごちゃになっているのだ。
順番でいえば、「時乃が察時に推理を披露する」「察時が犯人の前で推理を披露する」になるのだけれど、察時の推理に合わせて「時乃が察時に推理を披露するシーン」がカットバックされる。そこのリズムがかなり特殊なように感じられて、最初は乗れなかった。
そうは言っても、何本か観ていくと、その戸惑いも感じなくなる。毎回似たような演出になっているので、「アリバイ崩し」を観るためのフォーマットが頭の中にインプットされているからだ。
取り扱う「謎」を主眼におく場合、話を複雑にするよりも、シンプルに削ぎ落として、フォーマットに当てはめていった方が、観やすいのかもしれない。