木曜日20時、不定期更新。 小説、映画について書きます。 推理小説中心です。

『エヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、主人公の碇シンジくんは、テレビと映画では異なる問題を抱えているみたい

 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

  • 発売日: 2012/11/17
  • メディア: Prime Video
 

 もうすぐ第四作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開されるので、あらためて前作の『Q』を観た。2012年公開。時事ドットコムで2012年の出来事を調べると、習近平国家主席になり、オバマが再選し、山中教授がノーベル生理学賞を受賞し、株価は8000円台で、景気後退局面に突入したと言われた年だ。(実際にはその後の金融政策により、株価だけはぐんぐん上がった)

 

『序』『破』と比較すると、明快なカタルシスがなく、次回作へのフリが強く意識されている印象を受けた。『Q』と『シン・エヴァンゲリオン』がセットになって、初めて完成する、そんな印象だ。それを意図していたかどうかは、これから公開される映画を見て判断するしかないわけだが、もし仮にそうだったとしても、四作目の公開は『Q』公開から9年後。とんでもなく長い前振りだ。

 

あらためて観ると、『Q』はテレビ版に近い印象を受けた。けれども、大きく異なる点もあった。

 

テレビ版は、大まかに言うと、秘密結社の秘密の儀式の生贄にされかけて、生き残った人の話だった。

 

永遠の命を求める秘密結社が、数億人いる人類の魂を一つにまとめ上げて、不死の生命に生まれ変わる秘儀を行った。その生贄の羊に選ばれたのが、碇シンジくん。彼は最後まで真実を教えてもらえず、利用され、儀式(人類補完計画)の生贄にされた。

碇シンジくんは他人が嫌い。誰かに傷つけられるくらいなら、他人なんていらない。そんな徹底的な人間不信の碇シンジくんを生贄にして、儀式は成功するはずだった。けれども、様々な人との出会いを通じて、碇シンジくんは成長していた。最後の最後で裏切り、他人のいる世界を望んでしまう。その結果、儀式は失敗。人間は不完全なまま、地上に戻された。

 

碇シンジくんの願いがそのまま世界の行末に直結する。そんな物語だったのだけれど、シンジくんは最後の最後まで人間のままだった。あくまで超存在だったのは、彼の願いを叶える、エヴァンゲリオンであった。

 

一方。

 

『Q』の世界では、様子が違う。碇シンジくんは、14年が経っているのに、歳をとっていない。それは、アスカ、マリ、レイ、カヲルも同じだ。歳をとっていないのは、エヴァンゲリオンに乗っていた子供たちばかり。アスカは「エヴァの呪縛」などと、意味深なことを言う。どうやら、碇シンジくんたちは、人間とは異なる超存在になっているようだ。

 

歳を取らない。その性質を持ちながら、人の姿をしている碇シンジくんたちは、完全な生物である使徒と、人間の間の生物なのかもしれない。使徒でもなく、人でもない。だから両方から疎まれる。そんな存在だ。

 

その設定は、少年漫画などでよく使われる。敵と味方。その間に立つのが主人公である。最近で言えば、『チェーンソーマン』は、人間と悪魔。『鬼滅の刃』は人の兄と鬼になってしまった妹の話だ。作品によって立ち位置は異なるが、敵と味方の間に立ち、どちらにも属さず、正しい選択をするのが主人公である。

 

そう考えると、『シン・エヴァンゲリオン』では、碇シンジくんは人間と敵の間に立ち、正しい選択をしてくれるのではないかと予想するのだけれど、かつての劇場版はどっちともつかない問いを投げかける内容だったので、その予想は全く外れるかもしれない。そして、それを期待しているところもある。『エヴァンゲリオン』は、予想の斜め上をいくところに魅力がある。