動画の黎明期
代官山の蔦屋書店には、ニッチなターゲット層に受ける商品が置いてある。
今回は「メリエスの素晴らしき映画魔術」を借りた。
ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」は映画史の初期作品として紹介される。
その映像はネットで簡単に見ることができる。だが映像だけ観ても、私にはどうにも退屈だ。美術館の絵画も同様なのだが、審美眼を持っていない人間にとっては、その作品のバックグラウンドが重要である。いつどのような時代に作られ、なぜ人々が熱狂したのかを知らなければ、その映像の真の価値が分からないのである。
まず冒頭で街の映像とともに時代背景が語られる。当時は車もなく、馬車が道路を走っており、馬糞の匂いがあたりには漂っていた……そんな時代である。1895年には、リュミエール兄弟が蒸気機関車の動く映像を公開して、人々を驚かせたらしい。
わりと有名なエピソードとして、その映像を初めてみた人は自分がひかれると思い、慌てて逃げ出したとか。それくらいショッキングで斬新な映像だったのだ。おそらくメリエスも、その動画に衝撃を受けたに違いない。マジシャンである彼は自分もやってみようと思い立ち、様々な映像に挑戦、ついには人類が月世界へ旅行する動画まで完成させてしまうのだった。
知らなかったのは、メリエスの「月世界旅行」以後の人生、そしてカラー版の存在だ。
晩年、メリエスの作る映像は全く売れなくなってしまったらしい。
その大きな理由はドキュメンタリーの流行であった。当時、別の劇場でかけられていたのは、人類が未踏の地、南極大陸へと足を踏み入れた人々のドキュメンタリー映像。当時の映像技術ではノンフィクションはどうしても作り物めいてしまう。人々が記録映像の方がいいと思うのも無理はない。
売れなくなったメリエスは、破産に追い込まれる。会社を畳むことになり、何の役にも立たなくなったフィルムを燃やしてしまったらしい。その姿はポール・オースターの「幻影の書」と重なる。このエピソードを知った彼が小説に取り込んだのだろうか。
- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
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フィルムというモチーフはノスタルジア、喪失、過ぎ去ってしまったもの、今はもう戻らないもの、記憶などと相性がいい。なぜなら、保管が難しく、フィルム自体がダメになってしまうからだ。
このドキュメンタリーの最大の見せ場は、そのダメになったフィルムから「月世界旅行」カラー版を再現するというシーンだ。
「月世界旅行」には白黒版とカラー版があったらしい。しかし当時はモノクロフィルムしかない時代。当然、カラーフィルムはまだ生まれていない。ではどうやってカラー版を作ったのか?
答えは手作業。職人の手によって1コマ1コマ彩色していたのだ。
だが、「月世界旅行」の完全な元フィルムは長らく発見されておらず、この世から失われてしまったと考えられていた。それが運よく発見された。最新のデジタルリマスター技術によって修復が行われる。そして、1902年当時の人々が見ていたものと限りなく近い状態のカラー版「月世界旅行」を蘇らせることに成功した。
この映像本編の最後にカラー版「月世界旅行」が流れる。100年以上の時を超えて映像がよみがった瞬間だ。その歴史とメリエスの人生を知った上で最後にカラー版を見るとグッとくるものがある。