木曜日20時、不定期更新。 小説、映画について書きます。 推理小説中心です。

シンプルだが捕らえにくい構成

タイタンの妖女」が好きだ。この本には落語の名人芸のような軽妙な語りがある。

 

しかしその中身は捕まえるのが難しい。最初、これは何について書こうとしている小説なのかがわからなかった。宗教、戦争などの巨大なテーマ。それに翻弄される小さな個人。悪人がいないのに悲劇の生まれる世界。これから起きることすべてが最初に提示される予言の構造……切り口によって様々な顔を見せる小説であるし、結末までのあらすじを語るとあまりにバカバカしい。にも関わらずすごくおもしろい小説なのだ。

 

タイタンの妖女」の構造は大まかに以下の通り。

 

(1)第1章~第3章 地球

 マカライ・コンスタントとは何者か。ウィンストン・ナイルス・ラムファードはコンスタントの身の上に起きることを予言する。

(2)第4章~第11章 火星~水星~地球への帰還

 記憶を失ったアンク。家族と一緒にどこか平和で美しい土地に逃げようとする。

(3)第12章 タイタン

 アンクのその後。トラルファマドール星人・サロとラムファードの関係。

 

私の読み慣れた小説であれば、(2)(1)(3)の順番になるはずだ。

 

火星軍によってすべての記憶を奪われたアンクは、記憶を消される前に残した手がかりを元に真実を突き止めようとする。その結果、アンクは皮肉な現実と真実に直面することになる……というような。

 

それはアンクという個人が真実を探し求めるミステリー小説である。

 

しかし、カート・ヴォネガットの用意する物語はそんな単純なものではない。いきなり最初の章でネタバラシをしてしまう。これから主人公に起きる出来事を最初に全部話してしまうのだ。

 

ならば、主人公がその運命から逃れようともがく話なのだろうか? 

 

と、思いながら読み始めると、読み手は肩透かしを食うことになる。まず主人公はとにかくろくでなしなのだ。良いことを一つもしたことのない人間として描かれる。全然好きなれない。主人公は予言の内容が気に食わなくて、乱痴気騒ぎを起こし、散財しまくる。その上、大恐慌が起きて、その財産を失って一文無しになり、自ら火星に逃げることになる。

 

なるほど、どうやらダメな主人公が改心する話なのか、などと考える。

 

しかしその予想も裏切られる。ページをめくると、いきなり火星。主人公の記憶は軍によってすっかり消されてしまい、全く別の人間になっているのだ。主人公は自分が何者かすら分かっていない。そもそも最初に提示された予言すら、すっかり忘れてしまっている。

 

主人公に残されている唯一の手がかりは手紙だ。記憶を消される前に自分宛に残したものである。そこには自分には妻と子供がいること、その家族とともに平和で美しい土地に逃げろ、と書かれている。自分が辛い現実に屈しない強い人間であることを知った主人公は、運命に立ち向かう。妻と子供を探すことにするのだ。

 

そうか。エクソダスする物語なのか、と思うとそれも違う。

 

見つけ出した妻と子供は全然乗ってこない。逃げようと言っても、あまり乗り気じゃないのだ。何しろ妻は記憶を消されている。子供は父親の顔を見たのが初めてなのである。突然現れた男が「俺はお前の父親だ。一緒に逃げよう!」と言ってきたら? 当然一緒には逃げないだろう。

 

そんな調子で物語は進んでいく。読み手すら裏切り続ける頼りにならない主人公なのだ。だから、読み手は主人公を当てにしなくなってくる。主人公をばかだなあ……と俯瞰しながら物語を見ていくことになる。そして、「なぜ主人公はそんな目にあうのか」「この運命をしくんだ何者かがいるんじゃないのか」と読み手自身の視点で物語を読み進めることになる。

 

しかし書き手はそこにも罠を仕掛けてくる。この物語を読み終わったとき、私たちは人間はなぜ悲劇に見舞われるのか、その答えを知る。人間には罪はなかった。それどころか人間はまっさらで、悪意のかけらもない。にも関わらず悲劇は生まれるのだ。

 

とにかく読み手の予想をウナギのようにスルスルと逃れていく展開。語り手も軽い調子で、主人公たちを茶化している。しかし、起きる出来事はとんでもない。戦争が起きて約十五万人の死者が出る。しかも一方的な大虐殺だ。しかしその口調も軽い。戦争をこんな調子で語っていいのだろうか? ドキュメンタリー番組だったら決してこんな調子ではない。

 

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)